学校に行くべきか、行かぬべきか
- 森
- 4月17日
- 読了時間: 3分
昔は「登校拒否」ということばをよく聞きました。
しかしご存知のとおり、今では「不登校」ということばが広く使われるようになっています。
「登校拒否」というと、いかにも自分の主義主張で学校に行くことを拒否しているような響きがありますよね。
そういう方も中にはいらっしゃると思いますが、でもお子さんたちの気持ちを実際にたずねてみると、全員というわけではありませんが、多くの方からは「学校に行くことができない」もっと言えば「行かなくちゃいけない、と強く思っているのだけど、どうしても行けない」という意味の答えが返ってくるのです。
そして学校に行けない自分をとても問題だと感じ、こんなことじゃいけない、なんとかしなくちゃ、と焦っていたりもします。だから「登校拒否」と言うよりも、シンプルに「不登校」と言った方が誤解を生まなくてよいと思います。
ところでそんなお子さんに「なんとかして学校に行け!」「学校に行けなければダメだ!」なんて言ったとしたら、どう感じられるでしょうか。
自分でも「なんとかして学校に行かなくちゃ」と思っているのに、それを誰かから言われたら、ますます「自分はダメだ」と感じて絶望してしまうかもしれません。
それなら反対に「学校なんて、行かなくてもいいよ」「学校に行かなくたって、家で勉強すればいいじゃないか」と言ったとしたらどうでしょう。
不登校のお子さんたちの多くは、「学校に行く」ということが、とても大事なことなのだと実は思っているように感じます。
そうでなければ、学校に行けないことをわざわざ悩んだりしないはずです。ですから学校をどうでもよいもののように言ったり、学校の先生や同級生のことを悪く言ったりしても、お子さんたちはちっともうれしくありません。
学校は単に勉強を教える場所であるだけでなく、多くのお子さんたちにとって、参加し、所属し、メンバーとして承認されたい場なのだと思います。
そこに参加できない自分というものが、とても孤独で頼りない小さな存在に感じられてしまうのではないかと思います。
学校はお子さんたちにとって、実はそれなりに価値のある場所なのかもしれません。
私たちはそれぞれのお子さんにとって、学校がどのような場所であるのかじっくり考えた上で、お子さんたちに接していきたいと思います。
「学校に行こう」と強要することはありません。
「学校はどうでもいい」とも思いません。
お子さんの学校に行けない状況を可能な限り理解し、そしていつかお子さんが力を蓄え、チャンスをつかんで、ご自分なりの第一歩を踏み出すことを信じて、お子さんと一緒に歩んで行きたいと思っています。
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