ひとりぼっちにはしない
- 森
- 3月28日
- 読了時間: 3分
更新日:4月15日
先日所用で愛媛県松山市に行ってきました。
せっかくですから、ちょっと仕事を抜け出して、松山城にも足を延ばしました。

松山市はそのホームページにありますように、正岡子規など多くの文人を輩出した、文学の香り高い街です。
市の「ことばのちから」プロジェクトで募集された素敵な短文が、街のあちこちに掲示されています。
小高い丘の上にある松山城までは、スキー場にあるようなリフトで登れるのですが、リフトが通る下には落下防止のためのネットが張られていて、そこにも「ことば」を書いたタペストリーが掲示されています。
そのどれもがウィットに富んでいて、魅力的なもの、感心させられるもの、思わず笑ってしまうものなど、一つ一つ読みごたえがあって、読んでいるうちあっという間に頂上に着いてしまいます。
特に印象に残ったものをひとつご紹介します。
「君の好きな所は一人にしてくれるのに、ひとりぼっちにはしない所」
これ、とってもいいと思いませんか?
「ひとりにしてくれる」というのと「ひとりぼっちにする」というのはまったく違うと思います。
「ひとりにしてくれる」ということばには、相手を個人として尊重し、必要以上に干渉しない思いやりが含まれていると思います。
一方「ひとりぼっちにする」ということばには、相手を孤独の中に突き放す冷たさがあると思います。
私は来談された方とお話ししていると、時々「先生、どうすればいいんでしょうか」「どちらを選んだらいいんでしょうか」と相談を持ちかけられることがあります。
一般的に精神科医や心理士はそのようなときに「こうしなさい」「こちらがいい」と「助言」するわけではありません。
「なあんだ、良いアドヴァイスをしてほしくて相談にきたのに」とがっかりされる方もおられるかも知れませんが、実はそれは私たちの仕事ではないのです。
そもそもだれかの大事な人生の問題を、別のひとが「こうしなさい」なんて決めるのは、おかしなことなのだと思います。
だれでも自分の人生の大事な決断は、自分でしなければならないのです。
でも「自分で考えろ」と言われても、なんだか突き放されたような気がして、つらいですよね。
そもそもどうしていいかわからなくて、迷ったり困ったりしてるから相談に来たのであって、それなのに自分で考えろ、なんて言われたらよけい途方にくれてしまいますよね。
そこでここからが私たち精神科医や心理士の仕事です。
私たちは相談にきてくださった方々に「こうしなさい」と決めてあげるのではありませんが、その方々が「こうしようか、ああしようか」と考え、迷いながらもご自分で道を切り拓いていくそばに寄り添って、応援したり、お節介にならない程度にお手伝いしたりします。
そして問題が解決したり、解決とまではいかなくてもそれなりの結果がまとまったりしたら、一緒に大喜びします。
松山城のリフトで見つけたことばは、このような私たちの仕事にちょっと通じるところがあるような気がします。
もちろんもっと他の意味や場面を含む、広く奥深い世界を豊かに連想させるすばらしいことばで、私の感じ方はちょっと我田引水のようにも思いますが・・・
「ひとりにしてあげる」、そのひとを自分の力で考え、悩み、生きていくことのできる個人として認め、お節介な介入や行き過ぎた助言・指導は控える。
しかし「ひとりぼっちにはしない」、つまり考え、迷い、悩むひとに寄り添い、応援し、時には一緒に悩んだり、一緒に工夫したり考えたりしながら、決して孤独な闘いにならないようにサポートしていく、それが私たちの役目なのではないかと思っています。
学習塾かたばみの代表と私は、そんな気持ちでお子さんたちに寄り添っていければと思っています。
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